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千 宗屋 茶味 in ニューヨーク。 Charming New York

いよいよ帰国です!

2009年6月30日 (火)

またまたブログの更新が滞り、いつのまにやら本日帰国の

日となってしまいました。5月はまず初旬に家元一行のNYでの催事、

中旬にはボストンへのお稽古のグループでの研修旅行と野点、

月末にはヨーロッパへ行き、ドイツフランクフルト市庁舎での茶会、

6月に入ってイタリアはピエモンテ、ヴェルドゥーノでのお料理とジョイントした茶会、

さらにヴェネツィアビエンナーレ・ヴェルニサージュに参加、その後アメリカに

戻り、すぐサンフランシスコに飛んで「サムライ展」オープニングで

茶会と献茶、そしてNYに戻りRockefeller邸で最後の茶会と、慌ただしく

日を過ごし、あっという間に今日を迎えました。折々のことは、

帰国後整理の上、まだまだupいたしますので、引き続きこのブログ、

ご愛読いただきたくお願い申し上げます。

最後の週末には、NYでお茶を楽しまれる有志の方々が流儀を超えて

集われ、送別の茶会とパーティを開いてくださいました。

流儀の違う方同士が水屋と点前をつとめ、さらに国籍も超えて

和気あいあい。あらゆる属性を越えて別世界を日常で楽しむ茶の湯の

あるべき姿を、ここNYで目の当たりにすることができ、満たされた

気持で、一年の思い出のしみ込んだこの地をあとにしようと

しております。NYの茶の湯が新しい段階に入らんことを念願し、

感謝の気持ちとともに、いったんこの地を飛び立ちたいと思います。

そして、一年間このブログを通じて応援してくださった方々に、

心からの感謝をお伝えしたいと思います。ありがとうございました。

本来ならばまだまだ時間軸に沿って記さねばならないところ、

取り急ぎ今の気持ちを皆さんにお伝えしたく、筆をとりました。

そして、今後ともよろしくお願いいたします。

 

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World Tea Expo@Las Vegas

2009年5月3日 (日)


↑ラスベガス空港にて。 

4月31日からラスベガス。ここで年1回、世界中の

茶業者や研究者、愛好家が集まっての大規模コンペティション

”World Tea Expo”が開かれる。もちろん取り上げられる

お茶も紅茶、中国茶、中近東のお茶など幅広い。


↑さまざまな種類のお茶が並ぶWorld Tea Expo
 の会場。

日本からも緑茶、ほうじ茶、煎茶が加わり、いくつか日本の企業も

参加される。そのうちのひとつ、北米でも活躍される伊藤園よりの

ご依頼、Expo事務局の招へいにより、会場となるマンダレー・ベイの

コンベンションセンターの一角のブースで茶会を開き、特設の

舞台でオープニングセレモニーとしてデモンストレーションを

行うこととなった。そして、今回の大規模な催しに際し、兼ねて

海外での催事への参加を申し出てくれていた父にも協力を

要請したところ、日本からお弟子さん有志をひきつれてネバタの

砂漠の真ん中まで駆け付けてくれた。

 
 ↑空港搭乗口降りてすぐにあるスロットマシーン。

初めて降り立つLas Vegas。うわさ通り空港に降りたつとすぐに

スロットマシーンが。砂漠の真ん中に突如現れた人工都市。すべての

スケールが大きく、そしてどこか嘘くさい。会場は宿泊したホテルに隣接

したコンベンションホール。しかし、部屋から会場まで延々歩いて20分

以上かかる。隣のホテルに移動するのにもタクシーが必要だ。

滞在中の4日間で、すっかり足がくたびれ果ててしまった。

 
↑会場となったマンダレイ・ベイホテル。

 2日の初日は、11時からExpo会場のほぼ中央に特設された舞台の

上に茶机を据えて、父・家元による講演、そして解説のもと私が茶机で

の点前を実演し、あらかじめ申し込まれた10名のお客様に一服の

お茶を差し上げた。


↑家元(右より3人目)による講演と茶机を用いての
 オープニングデモンストレーション(5月2日)

 午後からは場所を移して小間をイメージしたブースに

茶机を据え、やはり申し込まれた10名の方にお茶を差し上げる会を

あくる3日まで、合計5席行った。当初のイメージではブースに壁なども作り

込み、茶室を連想させるモダンな空間になる予定だったが、会場に

着いてみると何のそっけもないアルミとプラスチックガラスのはまった無味乾燥

なものでしかなく、慌てた。伊藤園の方々の協力もあり、テーブルクロスで聚楽壁の

イメージに近いベージュのものを探してもらって急遽壁に貼り、急繕いの

茶室となった。ただ、クロスにすぐしわが寄ったり、何となく学園祭の

茶道部の茶席風になってしまったことは否めない。


↑特設のブースに茶机を据えて。

それでも掛物をかけ茶机を据え、道具を併せ客が入ると、それなりに恰好が

ついてしまうのものだ。10名のお客様も多いときはいつの間にか15名まで

増え、椅子をその都度増やしたり、外との仕切りが透明なため、まるで

動物園のパンダよろしく気がつくと大勢のギャラリーがブースを取り囲む

など、いささか落ち着かないながらも大盛況であった。


↑外からも大勢のギャラリーが囲む中行われた
 ブースでの茶会(2日)。

 客層も種類は違えどお茶にかかわっている方々がほとんどなので、

香りまでじっくり味わったり、なぜこれだけ儀式的な所作があるのかなど、

それぞれのかかわるお茶との違いを軸にして関心が集まっていたようだ。

中には遠くエストニアのお茶屋さんがいたり、エストニアにもお茶屋が

あることに驚いたりした。


↑棗に見入る遠来のお客さま方。(3日)

 2日のお茶会を無事終え、軽く打ち上げにホテルヴェニスへ。このホテルの

内外にはイタリア・ヴェネツィアの街が再現されている。リアルト橋のたもとに

サンマルコ寺院の鐘楼があり、中に入ると1階には他のホテルと同じように

カジノがあり、2階にいきなり運河が現れ、ご丁寧にゴンドラまで泳いでいる。

天井には書割で青空が描かれ、24時間日が落ちることはない。

徹底した人工都市。嘘もここまでつけば大したものだ。


↑サンマルコ寺院の鐘楼のなぜか隣に
 リアルト橋。ホテルヴェニス前にて。

それは自然のあるべき風情をよしとする茶の湯とは正反対の位置にある。

 だが待て、茶の湯の理想境は「市中の山居」、

つまり都市の中に自然景を作り込むことにある。それは大自然の砂漠に

都市をつくることと実は軌を一にするのかもしれない。


↑NYもあります。本当におかしな街だった。

 

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コルビーカレッジでのデモンストレーション、Hell’s Palaceでのパーティ

2009年4月25日 (土)


↑コルビーカレッジの中央にあるメインホール。

23日から24日にかけてはメイン州にあるコルビーカレッジという大学で

デモンストレーションを行った。京都在住の旧知の華道家樹田秋義さん

の計らいで、同氏の友人の教授の招へいにより私と樹田さん、そして

琵琶奏者の平岡陽子さんの3名が”Three Japanese Master”という

イヴェントに参加したのだ。

ボストンよりさらに北、こんな機会でもない限りまず行くことのないメイン州

ポートランドは、大学にたどり着くまで延々、森の中の高速をひた走る。

到着したキャンパスはところどころに歴史を感じさせる建物が点在し、

学生が気持ちよさそうに闊歩していた。

 ここのアートギャラリーには、卒業生でもあるアレクサンドラ・カッツの

作品が多数展示されている。明るい彩色を使いながら独特の

影を含んだ彼の作品を、まとめて楽しむことができた。


↑学内ギャラリーのアレクサンドラ・カッツのための展示室。

デモンストレーションは学内の劇場で24日の3時から。

茶の湯の歴史と現在を簡便に説明し、学長さんと

日系人学生が舞台に上がって、薄茶一碗を楽しまれ、

質疑応答となった。器に関心のある方だろうか、禅宗などで使う

入れ子状のお椀「応量器」と茶碗の関係をめぐった

質問などが寄せられ、驚いた。


↑コルビーカレッジ。ホールでの薄茶デモンストレーション。

あくる25日夜は、こちらでの知り合いKYさんのおうちでの

ホームパーティ。お住まいの場所がHell’s Kitchin である

ところから、”Party at Hell’s Palace”と洒落ておられる。

この日のサプライズイヴェントとして、縁あって私のお茶の

お弟子さんともなってくれたクラシックギタリスト・村治奏一君が

演奏するというので、その時間を目指してHell’s Palaceへ。


↑村治奏一君の演奏。

 演奏は8時半から。KYさんのお宅に伺うとすでに60名近い

人がマンションの一室にひしめいて大混雑。交流の広い

KYさんのお知り合いには料理関係の方も多く、

食べ物が途切れることはなかった(笑)。やがてKYさんの掛け声が

あって会場は静まり返り、奏一君の演奏が始まった。

映画『ディアハンター』の曲として有名なカヴァティーナをはじめ、

4曲も演奏してくれたが、どの曲も奏一君らしく、訥々としたなかに

熱いものが垣間見え、音に聴き惚れているうちあっという間に

時間が過ぎた。もっと聴いていたかった。他の弦楽器に比べ、音の

聴こえがより繊細なギターは、ホールなどでの演奏より、やはりこういう

サロンのような場所で聞いてこそふさわしい。まして、気の合う人たちと

心をひとつに素晴らしい演奏に固唾をのんで耳を傾けることができる。

KYさんのおかげで、贅沢な一夜を過ごすことができた。その後も入れ替わり

立ち替わりお客様は続き、パーティもご馳走も深更に及んだ。

 

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Guggenheim美術館での献茶式

2009年4月20日 (月)


↑フランクロイドライト設計のグッゲンハイム美術館内部。

イェール大学でのシンポジウムなどを間近に控えた4月10日ごろ。一本のメイルが

届いた。送り主はグッゲンハイム美術館のアジアセクションのキューレター、

アレクサンドラ・モンロー女史。彼女が企画して現在同館で開催中の、アジア思想に

影響をうけたアメリカのアーティストの作品に焦点を当てた「Thrid Mind」展が

19日に無事会期を終える。それを記念して20日夜、同展の象徴ともいえるジェームズ・

リー・バイヤースの作品”The Death of JamesLee Byars”の中でお献茶をして

ほしいとの依頼だった。期日まで10日もない話、日本でならお断りするような

タイミングだったが、すでに展覧会を見ておりリーバイヤースの作品には以前から

引かれるものがあったので、せっかくの機会とお受けすることにした。

 イェールのすぐ後であるため準備などもあらかじめ周到に行わなくては間に

合わない。周りの方々のご協力もあって、無事に当日夕方を迎えた。


↑リーバイヤースの作品の中で。
 (Phot by Gen Aihara)

 7時から始まった献茶式には、アレクサンドラさんの招待により参加アーティスト、

展覧会のスポンサー、アート関係のジャーナリストなど20名ほどの方が参列。

中には今回の話の橋渡し役となったアーティスト森万里子さんの姿も。

森さんとはさまざまな方を通し紹介いただく機会はいくつもあったものの、

なかなか果たせずこの日ようやくご本人と直接ご挨拶することだ出来た。


↑通称”Gold Leaf”内に献茶道具一式
 を組んで。

 作品は、5mほどの矩形の部屋状のもの。その一面は金箔に覆われ、

その箔足(金箔の継ぎ目)はきっちりと処理されていないので、ひらひらと

揺れて作品自体が照明を受けて乱反射をしている。さらに床にも金箔は

貼り巡らされ、歩くと箔が足につき舞う。展覧会中は勿論立ち入り禁止

だったが、最後であることと献茶という機会をよく踏まえてくれて、私

のみ内部に立ち入っての点前が可能となった。


↑献茶では穢れを嫌うため、息がかからない
ように奉書でできた覆面(マスク)をつける。
(Photo by Gen Aihara)

 かつてアーティストが生前の頃、彼は全身を金で覆いこの作品の中で

横になり空間と自分が同化するパフォーマンスを行った。ここでの金は

光のメタファーであり、タイトルが示すように自分の死後その存在が光と

溶け合ってなくなってしまうことを意識したものだったろう。ならば、アーティスト

の聖域に立ち入る私はあえてそこに同化せず、秀吉の金の茶室を意識する

その空間に、利休好みの象徴黒一色の台子皆具一式を据え、黒紋付に

十徳の正装で点前に挑んだ。


↑一碗を作品内に献じる。
 (Photo by Gen Aihara)

 金に包まれた空間での点前はかつて秀吉の黄金の茶室を復元した

MOA美術館で経験済みだが、改めて金という質感が生み出す、

暖かさ、隔世感、そして物質としての金ではなく光としての金の存在

を思い起こさせた。為政者やアーティスト、宗教者がいずれも

金を多用するのは、ひとえにこの世ならざるものの表現を追求した

結果なのだ。作品の中で点前を行っている自分と、その外から

床に座って見入っておられる参列の皆さんとの間には、目に見える

以上の空間の隔たりがあったように思う。が、献茶が終わって

そのまま、通常の日本での献茶では考えられないが、参列の方々に

一服を差し上げたが、その時は確かに二つの隔たりの溝は埋まり、

一座を共有できたように思う。

 式後アレクサンドラさんが、点前が始まった瞬間にどこからともなく

微風が吹き抜け金箔が一斉に揺らめき、何者かの到来を

告げるようだったと教えてくれた。私はこの日、参加したすべての

アーティストの創意に対して敬意を払って一碗を勤点した。

その想いが届いたのだとしたら、これほどうれしいことはない。

今回の滞在中でも特に思い入れ深い出来事となった。


↑式後参列者一同で。(Phto by Gen Aihara)

 

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濃茶デモンストレーションと茶会@イェール大学

2009年4月18日 (土)

 
↑満場のマクニールホールでの濃茶のデモ。

昨日のシンポジウムに続いてこの日は午後2時からマクニールホールで

濃茶のデモンストレーションと、続いてルイス・カーン設計のギャラリーロビーで

100名の予約者を対象に、茶机を用いた茶会を行った。

 実はこの日の朝、ある訃報が私のもとに飛び込んだ。

NYで約40年間茶の湯の普及に努めてこられた裏千家茶の湯センター

前所長の山田尚氏。今日アメリカでこれだけ茶の湯への理解が深まっている

事に、同氏の功績によるところは非常に大きい。私はデモンストレーションに

先立ち、濃茶の成り立ちや回し飲みをする徳書生の意義を説明、そして

点前に先立ちこの日のデモを山田氏の遺徳に対して捧げることを宣誓し

始めた。


↑濃茶点前の様子。

 この日もホールの定員400名は満席。後部には立ち見も出ていたが、

点前が始まると前方によって皆さん熱心にご覧いただいた。参加者を

代表しての舞台上の客は3名。コレクターであるリチャード・ダンジガー氏の

夫人、ペギーさんがご正客、次客は昨日moderatorを務めてくださった

表千家のお茶を学んでいたという渡辺武さん、お詰めは裏千家の

師範でもある伊勢ギャラリー代表の伊勢富さん。

満場が水を打ったような静けさになり、点前の一挙手一投足に視線が

集まる。この日は道具も日本で行う濃茶点前と変わらない作品を集めた。

茶碗は16世紀の高麗粉引、茶杓には利休の茶杓師・甫竹作の銘

「大海」、茶入はこの日も参加されお手伝いまで頂いた辻村史朗氏に

敬意を評して同氏作の肩衝茶入を使わせて頂いた。


↑デモンストレーションでの濃茶の道具組。
 朝鮮風炉釜。水指はこの日のために日本から
 取り寄せた木地釣瓶。

 点前は元来見せものではない。舞台上でデモンストレーションを

行う際一番心がけるのが、いかに観客を巻き込み一座を成り立たせるか

ということ。この日も会場に早くから香を焚き、冒頭の解説でも、参加する

事で成り立つ茶の湯の芸術性を説いた。さらに山田氏へ捧げるとの

想いが、同氏に薫陶を受けた方も多かった会場の一体感をより高めた

のだと思う。この日の一座建立は確かに成立した。


↑ホールでの茶会。第一席目。

 その後のホールでの茶会も盛況で、先ほどお詰めを務められた

伊勢さんも同じ場所で一席構えられ、多くのお客様に限られた

時間で応対を繰り返した。機能が形を決めることをよしとした

ルイス・カーンの空間にあって、やはり現代の必然性が求めた茶の

かたちである茶机が、我田引水であるがきちんと調和してくれて

いた。道具もあえて新旧を取り合わせ、先ほどの濃茶との違いを

多くの方々が楽しんでくださったように思う。

(この日のイヴェントのこと、偶然この時期に渡米しご参加くださった
アナウンサー深澤里奈さんがブログに詳しく書いてくださっています。
右参照→http://ameblo.jp/rinaf/theme4-10011841238.html#main


↑ルイス・カーンの空間と調和する茶机と道具組。
 茶碗は桃山時代の織部沓型。黒田泰蔵作白磁
 平水指。棗は直斎好・嵐山桜大棗。

すべて終わり片づけ、ギャラリーを出たのは5時過ぎ。NYからお手伝い

に駆け付けてくださったお稽古に参加のMさんの車に数人で

乗り込み、2時間のドライブを楽しみながらマンハッタンへ戻り、

打ち上げ。心地よい達成感を得て、自宅に戻った。


↑お手伝いくださった皆さんとともに。

 

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イェール大学「茶の旅路展」シンポジウム

2009年4月17日 (金)

16日からニューへヴンにあるイェール大学を再訪。


↑イェール大学図書館。知の神殿としてまるで
 大聖堂のようなたたずまい。

この日からアートギャラリーで開かれている「茶の旅路展」のメイン

イヴェントであるシンポジウム「日本の茶文化今昔」と

デモンストレーション、茶会が2日間の行程で開かれ、招へいを受けた。

参照→http://artgallery.yale.edu/pages/info/teaculture.html


↑展覧会会場入り口。奥に4畳半茶室の
再現が見える。

 17日は朝9時半からシンポジウムが開始。根津美術館次長の

西田宏子先生による茶陶の話や、五島美術館・名児耶明先生の

茶席の書の話、サミュエル・モース先生の松平不昧公のコレクションの

話など、かなり専門的な茶の湯にまつわる話が続いた。このほか

建築では独特の茶室を作られていることで知られる東大建築学部

教授で建築家の藤森照信氏、来週からの柳ギャラリーでの

個展を控えて前日より渡米された陶芸家の辻村史朗氏、さらに

英国よりヴィクトリア&アルバート美術館のクリスティー・グース氏も

それぞれの立場から興味深い発表をされた。


↑発表風景。

そしてトリを飾るべく私の発表は一連の最後に。いままでは海外の

初心者ばかりが対象だったため講演の内容は茶の歴史や茶会の

あらましなど概説的なものが多かったが、専門の研究者や

愛好家も多数参加のこの日ばかりは、いつもと同じようにはいかない。

内容をさまざま苦慮し、初心者にもわかりやすく、専門家にも

なにか一石を投じることが出来るような発表を心がけた。

結果、自分自身がここ数年で行ってきた様々な活動を

その一つの成果である「茶机」を通して話すことで、合わせて

現代において茶の湯がはらんでいる問題を浮き彫りにすることが

できればと、演題は「茶の湯の現代」とした。

その内容に関しては詳しくメモを取ってくれていた、NYでのお稽古の

お弟子さんであるギタリスト村冶奏一君のブログで読むことができます。

(参照→http://murajisoichi.blogspot.com/2008/04/1-3-78y-metro-north2new-haven-new.html)

講演後は午後の部の発表者3人が登壇し、質疑応答。


↑左よりグース氏、私、辻村氏、渡辺氏。

特に茶の湯の実践者である私への質問は多く、「自分たちには伝統が

ないのでその意識を理解しにくい。伝統の中で生まれ育ち、かつ現代で

生きていく上で矛盾はないのか?」というアメリカ人からの質問が

とても印象的で、伝統という言葉の本義が、燈を伝える「伝燈」にあること

を説明し、常に新しい油を注ぎ続けることで守るべき火が伝えられることを

説明。イェール卒業生で通訳をお手伝いいただいたコネチカット大学の

渡辺武氏の名通訳もあって、交流使活動の一つの節目ともいうべき

このシンポジウムを無事乗り切ることが出来た。

 

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キャッツキル・大菩薩禅堂へ

2009年4月14日 (火)

世界中の人々が集まるNYには世界中の宗教も集まる。とりわけ禅への

関心は古くから高く、NY州にはいくつかの禅寺も点在しているという。

そのうちもっとも古く、日本でもよく知られているのが、嶋野栄道老師が

統べられる大菩薩禅堂・金剛寺である。

ここに13日から二日間、老師よりの招聘を受けお伺いした。

実は先立つこと25年前、父が一ヶ月間、茶の湯普及のためアメリカを

訪れた際にも人を介してここを訪問、老師の謦咳に接する機会が

あった。そのことを憶えておられた老師が、今年2月に一時帰国

された際、突然京都の家元にご連絡をくださり、父をお訪ねくださった

という。聞けば、NYでの僕の風評を聞かれ、ふと父のことを懐かしく

思い出されての訪問だったとか。そのご縁が実って、5月に

家元が渡米の際に禅堂にてお献茶を行わせていただく運びとなり、

その下見も兼ねて禅堂の生活を体験、そして初めて老師と

相見(しょうけん)させていただくため、マンハッタンより車で3時間の

キャッツキルに向かったのだ。実は幼い頃、父からNYに立派な

禅寺があると聞き、仏像好きだった私はぜひ訪れてみたいと思っていた。

今回の滞在中に果たしたかったことの一つが、ここでもまた

実現を見たのである。


↑大菩薩禅堂正面入口。

 マンハッタンから車に揺られること3時間、禅堂に

もう30年近く通われておられる、表千家茶道師範でもある

原ヤス子さん、マーティンさんご夫妻に導かれ、まるで奥入瀬の渓流の

ような美しい川のそばを通ると禅堂の敷地への入口が。そこからさらに

20分ほど走り、突如現れる美しい湖のほとりに大菩薩禅堂・金剛寺は

端然と佇んでいた。


↑嶋野栄道老師と相見。

 到着後すぐに老師とお目にかかるべくMeeting Roomへ。

父の部屋にかつて同じ部屋で若い日の老師と写っている写真が

飾ってあるのを見ていたので、初めて訪れた気がしない。やがて

現れた老師は、ゆったりと衣をまとい重厚な雰囲気を漂わせながら

まったく構えた所がない。若き日、単身アメリカに渡られたときは

仏像一体と警策一本、それに現金5㌦のみを持たれてJFKに降り立たれた

という。それから様々なご苦労と出会いを経て、3年でマンハッタンにNY禅堂を、

そしてその数年後にはここ大菩薩禅堂を開單されたというのだから、その

行動力と求心力には驚かされる。しかしご本人からは、一見そういったことを

まったく感じさせない。父のこと、そして私のこの一年のことなどを大変

興味深く聞いてくださり、またご自身のこれまでについても

いろいろお話してくださった。

さかのぼると父とのご縁があるからこそだが、初めてお会いしたとは思えないほど

落ち着いてお話しすることが出来た。


↑ご本堂内陣。御本尊は阿弥陀如来。それぞれの
 仏様も不思議なご縁で吸い寄せられるように
 老師のもとに集まってきたという。

 厳しくも美しい作法に則って精進の昼食を修行僧の方々と

ともに頂く。食後もまたしばらく老師と話し、のち本堂、禅堂はじめ

堂内を自ら案内してくださった。禅堂には奈良薬師寺の元管長

高田好胤師から送られた大菩薩像が安置されており、好胤師にも

可愛がっていただいた御縁から、遠く離れたアメリカで師と再会した

ような不思議な気持ちになった。その後5月7日のお献茶のための

打ち合わせをしていただき、禅堂にある茶道具なども拝見させて

いただいた。


↑私の訪問のために特別に出してくださった磬子
(鐘)を叩く嶋野老師。弘治元年の銘文があり京都の
某禅寺に伝わったことが銘文からわかる貴重なもの。
 利休さんも聞いたことのあるだろう鐘の音色を
アメリカで聴く不思議。


↑15日出発間際大玄関にて老師はじめ雲水一同と
 記念写真。僕の右隣がご案内くださった原ヤス子さん。

 その後夕方とあくる朝4時半からの二回、禅堂で皆さんと

坐禅を組ませて頂いた。時折風や鳥の鳴き声が遠くに聞こえる

以外、全くの静寂が身を包む。己と向き合い、自然と一つに溶け合う

三昧の心境に束の間遊ぶことが出来たのは望外の喜び。ここで

参禅するために今後渡米することも考えたほど、充実した

2日間の訪問であった。

 

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蔡國強さんとの再会

2009年4月10日 (金)


↑蔡國強さんと。ダウンタウンの蔡さんのアトリエにて。

 中国出身の現代美術家の草分けであり、NYを拠点に

世界中で活躍される蔡國強さんとのご縁は、2001年にさかのぼる。

 当時、慶応大学大学院の日本美術史のゼミを聴講しておられた

箱根彫刻の森美術館の館長であった産経新聞顧問の

鈴木隆敏さんからのご依頼で、蔡さんが同美術館で2002年春に

行なう展覧会で、庭園内にある使われていなかった茶室「雲霓(うんげい)」」

を会場として、岡倉天心『茶の本』へのオマージュをテーマに

作品を作られるので、協力してほしいとのことでお目にかかったのが

始まりだった。

(参照→http://tenplusone.inax.co.jp/review/kuresawa/kuresawa.html

それ以来これといった行き来はなかったが、いずれご縁が

あると思っていた。今回の渡米後も強いてこちらからコンタクトをとること

はなかったものの、蔡さんの存在は初めて現代美術とお茶との共通項を

私に知らしめてくださった方として、気になり続けていた。

幸い昨年暮れ、杉本博司さんのお誘いでお邪魔したグッゲンハイム美術館

アジアセクションのキューレター、アレクサンドラ・モンロー女史宅での

パーティの折に再会を果たすことができ、ぜひアトリエに来てお茶をとの

お話になった。かつNYでお茶を通して知り合ったMさんのお友達が蔡さんの

アトリエのスタッフであることからいろいろご協力を頂き、この日の訪問と

お茶会を実現することが出来た。


↑蔡スタジオの美味しくヘルシーなランチ。

 ダウンタウンのアパートの1階フロアすべてを使った蔡さんのアトリエは

中庭もあり明るく、広々と清潔感がある。年の半分は世界中を

飛び回っておられる蔡さんは、前日ヨーロッパから戻られた

ばかりとか。疲れも見ぜず笑顔で出迎えてくださり、およそ7年のブランク

があるとは思えないほど、ごく自然にお互いの近況や新作のことなどを

お話しすることが出来た。アトリエで是非お昼をとのお言葉に甘えて、

スタッフやゲストの皆さんと一緒に毎日作られているという薬膳仕立ての

中華料理を頂戴した。自身の作品にも漢方や気功などを取り込まれる

蔡さんらしいこだわりの感じられる美味しいLunchだった。


↑お茶の支度に興味深々の蔡スタジオの皆さん。

 その後ご一緒してくださったMさんとお茶の支度に入る。料理の

においを消すために香を焚き、道具を並べだすと皆さん興味深々。

その頃には蔡さんが招いてくださったゲストの方々もアトリエに

あらわれた。たとえばアカデミー賞受賞者で作曲家のタンドゥン氏。

彼は数年前お茶をテーマにしたオペラを作曲されるなど、茶の湯にも

非常に高い関心を持っておられ、特に蔡さんが引き合わせてくださった。

この他にもリンカーンセンターのビジネスディレクターや蔡さんが

演出の監修をなさった北京オリンピックのクリエイティヴチームの

コーディネーターを務めた方なども。やがて一同料理を頂いた

大きなテーブルを囲んで、Mさんが持参、セッティングしてくださった

銀瓶と湯沸かしを使い、茶箱を広げて盆点前で薄茶一服

差し上げた。


↑茶会の一コマ。


↑お茶を召し上がる蔡さんや皆さん。

 点前の最中、初めて茶の湯に触れる方のために

蔡さんは『茶の本』を引用されながら、お茶の魅力や効用を

熱心に説いてくださった。そしてご自身もおよそ7年ぶりのお茶を

美味しいと味わって召し上がってくださった。今回の滞在中

忘れられない再会の一日となった。


↑茶会後もグッゲンハイムで行われた
回顧展のことなど話は尽きなかった。

 

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ブルックリンブリッジ逍遥 

2009年4月9日 (木)


↑Brooklyn側よりブルックリンブリッジ
 を眺める。
珍しく春めいて快晴の午後、イーストリバーをわたってブルックリンにある

伊藤園の北米支社にて、5月の2,3日に参加するワールドティー・エクスポ

の打ち合わせを行う。今回のために伊藤園さんは私の茶机を購入して臨まれる

という気の入れよう。私も世界のお茶業界に日本の茶の湯を訴えかけるべく

予て出動要請をしていた京都にいる父を招聘し、この一大イベントを

成功裏に進めるべく、さまざまなことを協議した。


↑米国伊藤園の主力商品たち。こちらの表記では
「おーい、お茶」が「Oi Ocha」となる。命令口調(笑)。
個人的にはTEA‘S TEAがおすすめ。

 帰り道、車で帰るところ、あまりに気持ちのよい天気に誘われ、伊藤園の

マネージャー戸ノ嶋志保さんに、歩いてブルックリンブリッジを渡り

マンハッタンへ戻ることをことを提案した。


↑橋の歩行者用入口の階段。(Brooklyn側)

 橋の上り口を探し、狭い階段を上り切ると青空が広がり、まっすぐな

橋の向こうに摩天楼がはるかに聳えている。右手にはハドソン湾が

開け波が陽光に煌めく中、自由の女神も遥かに見渡せ、なんだかベタ

だが、NYにいるっ!と心から楽しめたひと時。


↑Brooklyn側の橋げたよりマンハッタンを
 見る。


↑ブルックリンブリッジよりハドソン湾を見る。
 正面には自由の女神が遠望できる。

  陽気に誘われ観光客や自転車をひく地元の人もたくさん行き来していた。

実はNYにいる間に一度は実行したいと思っていたことだけに、

予定帳に密かに書いていた目標をひとつ消したような充実感が心地よかった。


↑橋を渡り切ってマンハッタン側からブルックリン側
 を振り返る。たくさんの観光客が記念写真に
  興じていた。

 夕方からはコロンビア大学でマシュー先生の恩師のお一人、アムハースト大学

教授サミュエル・モース先生の講演。紀三井寺参詣曼荼羅を例に、中世参詣

曼荼羅の機能がその後近世初期風俗画に移行していく様子をたくさんの

visualを示して説得力ある興味深いお話だった。講演後の食事会では、

今度ご一緒するイェール大学での茶の湯のシンポジウムの話で

盛り上がる。先生は茶の湯大名・松平不昧公について発表をされる

らしく、不昧関連の道具のあれこれについてご質問を受けた。

 

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阿弥派の発表@コロンビア大学

2009年4月8日 (水)


↑コロンビア大学構内の桜。ほぼ8分咲きといったところ。
 だが気温はまだまだ寒い。

コロンビア大学の大学院、マシュー・マッケルウェイ准教授のSeminarでは、

1月からの今学期、テーマを室町時代中世の水墨画に設定された。

僕自身にとって美術史の専門領域であるので、毎回初心に帰って

離れた環境で学ぶ喜びをかみしめていた。学校に通い、教室に

行くというのも講義を受ける立場では久しぶりのこと。

そして、この日は客員研究員としての勤めも果たすべく、修士論文

以来のテーマでもある阿弥派についての発表をさせて頂いた。

阿弥派とは、室町時代中期以降足利将軍家の同朋衆として、

アートコーディネーター・プロデューサー的役割を担って仕えた

能阿弥、藝阿弥、相阿弥の三代を中心に、一連の画業をものした

人々の総称として用いられる。以前1月にメトロの相阿弥の屏風を

取り上げた際にも触れたので詳しくは略すが、彼らの画業と、

絵画以外の同朋衆としての仕事ぶり、最近の研究の成果までを

初めてパワーポイントを使って詳しく紹介することが出来た。

美術史研究のプレゼンにvisualイメージの使用は不可欠だが、

僕はスライド使用のぎりぎり最後の世代。大学院の後期の頃には

ぼちぼちパワーポイントを鮮やかに操る後輩たちをまぶしく

眺めていた。今回マシューさんに大いに手伝ってもらいながらも、

なんとか初めてPPTによるプレゼンを行うことができ、それだけでも

自分にとっては大きな成果であった。

 阿弥派は現在でこそマイナーな存在であるが、近世にいたって狩野派が

それまで和と漢に分けられていた絵画世界を再編成して統合したと

認識されている中にあって、その先鞭をつけたなくてはならない重要な

存在であることを認識してもらうことで、発表としての目標も一応達成

できた。なお時間の関係でメトロポリタンの山水図屏風の話にまで

たどりつけず、結局あくる週15日に持ち越して2週にわたって時間を

頂いてしまった。


↑メトロポリタンの屏風と作風が近似する相阿弥の
 基準作、京都大徳寺・大仙院の襖絵をPPTで示す。

 

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フェルメール@メトロポリタン美術館

2009年4月5日 (日)


↑メトロポリタンのGreat Entranceには
常に季節の生花が活けられている。
もちろん桜。恒久的にこの花の予算を
寄付している方がおられるとか。

久々にフェルメールネタ。年明けより現在唯一の個人蔵にかかり、

最も新出のフェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女」がメトロの

オランダ絵画の部屋に展示されていると朽木ゆり子さんから聞き、

是非見たいと思っていた。ちょうど8日のコロンビア大大学院ゼミで

室町時代の阿弥派のプレゼンをせねばならず、そのPPTのために

相阿弥の「山水図屏風」の写真が必要だったので、日本ギャラリーで

撮影がてら、メトロに出かけた。

 
 ↑フェルメール5点が一堂に会するオランダ絵画の
 展示室。

 目当ての作品は西洋絵画のコーナを突き進んで

右奥にあるオランダ絵画の部屋。時々改装や展示替えが

行われるため必ず定まった場所にあるわけではなく、この日も

前回フェルメール群を見た隣の展示室にほとんどの作品が

移っていた。

 展示室西壁には向かって右から「リュートを調弦する女」「少女」

「窓辺で水差しを持つ女」そして問題の「ヴァージナルの前に座る

若い女」が並ぶ。そして、向かい側の壁には晩年の一風変わった

「信仰の寓意」が。さらに隣のべンジャミン・アルトマン寄贈

作品をまとめた部屋に「眠る女」が飾られ、メトロだけで今の時期

計6点のフェルメールを一気に見られることになる。


↑件のフェルメール「ヴァージナルの前に
 座る若い女」(1670年頃)個人蔵。


↑「眠る女」(1656-57年)

 さらにほど近くのフリックコレクションに3点、

ワシントンのナショナルギャラリーにも3点、行方不明だが

ボストンのイザベラガードナー美術館に1点の、実にアメリカ東海岸

だけで13点のフェルメールが存在することになる。

 新出の作品は、左上方の窓からの光を受けてヴァージナルの前に

座る女が、ふと演奏の手を止めて振り返る瞬間を描いている。他の

フェルメールに比べるといささか静中の動にかけるように感じるのは、

羽織られたヴェールの衣紋の表現などがぎこちないことから、後筆

と考えられていることとも関係があると思われる。またそこから伸びた

腕の太さも均一で、ちょっと大根のよう(笑)。そんなこともあって、

補筆が多いのか、または真作であることを否定する研究者もいたりと

まだまだ未知の可能性を秘めた作品である。ともあれ、ほとんどが

美術館に入っているフェルメールにあって個人蔵はこの一点のみ。

メトロでの公開がいつまでかは分からないが、全点踏破を目指す方は

是非今のうちにメトロポリタンを訪れるべきだろう。

 このほか韓国美術のギャラリーでは「Art of the Korean Renaissance,

 1400–1600」と題した、韓国の中世美術の展覧会が開かれている。(6月21日まで)

参照→http://www.metmuseum.org/special/se_event.asp?OccurrenceId={5CCD5232-A073-4DBE-A06D-36D32D933A74}&HomePageLink=special_c3b

規模は小さいが展示も内容も素晴らしく、本国や日本からも名品が多数出品

されていて見ごたえがある。改めて日本と韓国の美術をめぐる交流を考える

契機となる展示である。

 隣の中国美術のセクションでは、館蔵の明時代の絵画の優品が一堂に

会していて迫力がある。古今東西のあらゆる一級の美術の間を同じ屋根の

下で何度も行き来出来る歓びは、ニューヨークならではのものである。


↑帰りは快晴ののセントラルパークを歩いた。
 Conservatory Waterより5thアベニューの
 ビル群を望む。まさに水温む頃だ。

 

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バードカレッジでのデモンストレーション、クラーク美術館

2009年4月3日 (金)


↑Hudsonの街より、別院のあるEast chatamに
 向かう。

2日よりUp Stateにある天台別院を再訪した。今回の滞在中これで3度目。

前回2月には雪深かったここも、すっかり早春の装い。山々も新芽が芽吹き、

全体がピンクがかっているのが日本の自然と異なり、一層ダイナミックな印象を

与える。今回は別院住職のポール・ネイモン聞真氏が教授を勤められる

バードカレッジ・サイモンズロックで是非デモンストレーションの茶会を行って

欲しいとのご依頼に応え、お伺いした。前夜は、以前から念願だった本堂で

ひとり坐禅止観の時間を持つことが出来た。マンハッタンと異なり、周辺は

どこまでも静か。薄暗くした本堂でひとり座禅を組んでいると、自分の中に

あったもやもやや溜まっていたものが綺麗になくなっていくように感じるから

不思議だ。NYで座禅やヨガが流行るのもわかる気がする。

 
↑2月に訪れた際には胸まで雪に埋もれて
 いた石仏も、ご覧の通り。

 あくる日はネイモン氏の運転で、バードカレッジ・アット・サイモンズロックへ。

ニューヨーク州のほとんど境目にあるイーストチャダムから、あっという間に

州境をまたぎマサチューセッツ州にある同大学へ。森の中にある、こじんまりとしながら

開放感あるキャンパスには、雰囲気の良い、程よい規模の建物がいくつも

点在している。その中の学生会館の前で車は止まり、会場はその中にある

メディテーションルームだという。


↑何もそんなに伸さなくても…。

 11時過ぎセッションを始める頃には、学生から教員まで20名ほどの方が集まり、

僕をぐるっと取り囲むようにして、銘々部屋にあったクッションに坐り、

とてもインティメイトな雰囲気の中行うことが出来た。

あらかじめ部屋には香を焚き、雰囲気を作っておいた。


↑デモンストレーションに先立ち、茶の歴史や簡単な
 飲み方などを講義する。

お茶の歴史などを20分ほど話した後、茶箱を広げて盆点前により、学生全員に

一服を差し上げ、質疑応答をうけた。ここではじめて教員のひとりから

噂に聞く「お茶に蜂蜜とミルクを入れることはないのか?」という質問が出たのは

ご愛敬(しかも教員の方から!?)だが、ひとつ忘れられない出来事が。

終わって片づけていたら一人の学生が小さな包みを持って僕のもとに。

開けてみると中には備前風の茶碗が。聞けば彼は陶芸専攻の学生で、

今日僕が来ることを知って、渡すために茶碗を作ってくれたとか。

もとより茶の湯の経験もないであろう彼が一所懸命作ってくれた茶碗は、

オブジェ専門という彼らしくいささか装飾が過剰だが、不思議と

重さと寸法が茶の湯に好ましいものとなっており、これから折々

この一年を思い出して使うよすがを得た思いで何より嬉しかった。


↑車座になって薄茶一服を呈した。


↑学生から頂いた茶碗。点てやすく頂きやすい。

 午後は近くで簡単にLunchを済ませ、さらに車を1時間ほど走らせ、

ウィリアムズカレッジがあることで有名な大学街、ウィリアムズタウンの

クラーク美術館を訪れることが出来た。ここはネンモン氏の勧めで、

私もかねて訪れたかったところ。http://www.clarkart.edu/


↑雨のウィリアムズタウン(クラーク美術館正面より)

午後からのあいにくの強い雨に、本館の上にある安藤忠雄氏設計の

Stone Hill Centerに行くことは断念したが、背が低く安定感あるプロポーションが

印象的な白亜の瀟洒な本館で、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ボッチチェリ、ゴヤ、

ターナー、シスレー、モネ、マネ、ゴーギャン、ドガそしてサージェントといった

名画の数々を、程よい規模の展示空間で堪能することが出来た。


↑ピエロ・デラ・フランチェスカ「聖母子と四天使」
 まさかマサチューセッツの小さな街にこれほどの
 彼の大作が存在するとは思いもよらなかった。
 


↑ジョン・シンガー・サージェント
 「龍涎香の煙」(1880年)

 が、なんといっても驚くのがルノアールのコレクション。中央展示室の北壁の

ほとんどが彼の作品で埋まっていた。そのいずれも質が高く、今までルノアールは

どちらかというとあまり好きではなかったが、その良さを改めて知る良い機会となった。


↑ドガのブロンズ「踊り子」、奥に
 ルノアールの「コンサートにて」。
 今までで最も魅せられたルノアールの作品。

 個人コレクションの美術館だが、これまでアメリカで訪れたフリック、ガードナー美術館が

邸宅をそのまま美術館にしたのと違い、ここは純然たる美術館施設に展示されている。

 でありながら、邸宅のサロンで見ているような落ち着いた雰囲気で作品と向き合えるのは、

ひとえにコレクションに込められたクラーク夫妻の愛情を、美術館がよく理解し引き継いだ

展示を心がけているからだろう。いつまでいても飽きない、居心地の良い展示空間と、

抜群に趣味がよく嫌みなく名作の集まった珠玉の美術館を後ろ髪引かれる思いで

閉館間際に後にした。

 
↑印象派が一堂に会する中央展示室。

 

 

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BRUTUS 仏像特集「阿修羅に会えた?」 監修しました。

2009年4月1日 (水)

突然ですがお知らせを。

もういまは4月1日。今だ三寒四温のNYに戻っております。

このブログ、ずいぶん時間が隔たってしまって、現在ヨーロッパ編を

一生懸命アップしておりますが、NYのリアルタイムにたどりつくまで

もう少し頑張りたいと思います。皆様懲りませず、飽きませず

お付き合いください。

 そんなさなか、今日はいきなりウルトラCを使ってしまいますが、

リアルタイムの話題をひとつお知らせさせてください。

同じマガジンハウスの姉妹誌『BRUTUS』本日4月1日発売号にて

仏像特集の総監修をさせていただきました。この件は以前このブログでも

誌名は伏せてお知らせしましたが、ようやく2か月の山あり谷あり

のすえ、完成です。

http://magazineworld.jp/brutus/660/

 この間私は、NYで、スペインで、ベルギーでパリでと常に仏像とともに旅を

していたようなものでした。PCを立ち上げているとすぐにSkypeで

捕まってしまい、仏像編集会議に有無を言わさず突入の日々。

内容は日本国内の仏像がテーマなのでいたってドメスティックなのですが、

過程はとてもインターナショナルなのです(笑)。

特に渾身の企画は『ブツゾウJapan』という、トレーディングカード。

全国から選りすぐりの愛され仏32体を選ばせて頂き、

表に各尊像のお写真、裏にはそのヒエラルキーを図表したものと説明、

さらに標識となる梵字を現すというスグレもの。

この32体、当初は倍の64体候補があったものを、罰あたりにも「仏界人事部長」

として泣く泣く半分に大リストラ、厳選して誰にでも親しまれ、歴史的にも

意義が大きく、かつ美術作品としても魅力ある尊像を選ばせて頂きました。

とはいえ、諸事情あり「なぜあの方が入ってないの?」というお叱りも

あるかと思いますが、ぜひ一覧で眺め、切り取って対戦ゲームするもよし、

マイ立体曼荼羅を堪能していただくもよし。さらにお気に入りの仏様を

パスケースなどに収め、聖地巡礼のおともに、日々のお守りにして頂ければと

思います。

 その他、歴史上の壮大なドラマの上に、仏像とそれを取り巻く人々を展開した

大河ストーリ仕立ての仏像の歴史、いつも気になっていたけどいまさら聞けなかった

仏像に関するQ&Aを大きく本編として収録いたしました。

 また海外にいるからこそ考え得る問題として、仏像を含む日本の文化財の

いわゆる「海外流出」に関して、先日めでたく重要文化財に指定の答申が

出された伝運慶作大日如来像(真如苑蔵)を事例に、ページを割いております。

 ちょうど日本では昨日から阿修羅展が東京国立博物館で始まるとか。

(残念ながら7月の帰国時には会期は終了してしまうので、九州での巡回を

今から狙っています。阿修羅はもう何十回も拝見していますが、いつも

ガラス越しでしたので。今回は露出360度回れるそうです。)

そのタイミングに合わせての発刊ですが、これからの好季節、ブルータス

片手に大いに名仏巡礼に親しまれてはいかがでしょうか?

ぜひこれを機に多くの方が改めて仏像の魅力、面白さ、素晴らしさに

気づいてくだされば幸いです。

(自分はまだ雑誌を見ておりませんので、ご覧いただいたら

このコメント欄に感想、ご批評など寄せていただけるとうれしいです。)


↑幼少からの仏像好きが高じてついに15歳で出家。
 写真は2006年春比叡山横川にて護摩修行中の
  私。今回は僧侶として、美術史研究者として、そして一
 仏像ラヴァーとしてバランスを取りながらの監修でした。

 あともう一つの知らせです。2日(木)発刊の朝日新聞夕刊より

「茶のある暮らし」と題したエッセイの連載をおよそ一年間

開始いたします。海外で暮らし、そして7月には日本に戻りその後

自分がどう変化していくのか、また自分を取り巻く環境がどのように

変わって見えるのか、そのあり方をこのブログ同様綴っていければ

と思っています。本ブログとともにご高覧、ご高評頂ければ幸いです。

 NY滞在も残すところ3か月、いくつか大きな行事も控えて

おり、悔いなく充実した日々を送っていければと思っております。


↑最新の写真を一枚。先週23日(月)訪問研究員
として在籍のコロンビア大学ケントホールで行った
茶会の模様。いずれ数回後詳しくご報告します。

 

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ウォールストリートジャーナル・インタビューと利休忌

2009年3月31日 (火)


↑カークパトリック女史に呈茶をしながらのインタビュー。

29日は、アメリカで最も権威ある経済新聞”ウォールストリートジャーナル”

のインタビューを受けた。在NY総領事館からのご紹介で、同紙論説副主幹、

メラニー・カークパトリックさんを、せっかくしつらえられた茶室があるからと、

Yanagi Galleryの茶席にお迎えし、実際に茶の湯を体験していただいたうえで

お話をすることで、適切な理解をしていただければと目論んだ。

利休忌に合わせた趣向で、すべての道具をしつらえたが、当日現れたのは

メラニーさんおひとり。聞けば、同紙は伝統的に写真をあまり使われない

媒体で、ここぞという記事にはイラストを用いるのが伝統とか。

果たして、5月6日付の同紙に私のイラスト入りで

”A Tea ceremony Today”と題した大きな記事を掲載していただいた。

参照→ http://online.wsj.com/article/SB124156010772588959.html

 

武者小路千家が”Mushakouji-tea school”とされ、”Senke”が抜けていたり、

 

“teaching art at Columbia University”となっていたり

 

(正しくは”Visiting scholar at Columbia University”とすべき、先生では

 

ないので)など細かい齟齬はあるものの、記事の内容は大変的確かつ、

 

こちらの意図をよく汲んでくださって、早速各所から反響も多く、

 

同紙の影響力の強さ、ひいてはアメリカにおけるメディアの重要性を

 

実感することが出来た。

 

 数ある質問の中で特に印象的だったのは、茶の湯をビジネスとして

 

成立させている要因についてと、読者であるビジネスマンに向けて

 

茶の湯を行うことの意味というもの。出来上がった記事には、前者の

 

回答は載らなかったが、後者は大きく戦国時代の大名と現代のビジネスマン

 

の比較について説明したことが大きく取り上げられた。

 

↑31日、Ippo-doで行った稽古での
利休忌の床飾り。お茶湯、お菓子を
供える。

 

 31日には、28日に遅れること3日の利休忌。

 

通常、京都家元では利休の祥月命日の2月28日(旧暦)に

 

ちなみ、3月28日に菩提寺である大徳寺聚光院で法要と

 

茶会を行う。もちろん今年はNYにいるため出席できない。

 

なので、3月3回目の稽古日であったこの日に、稽古場披き

 

以来の利休の画像を取り出し、稽古に先立ち供茶。その後

 

やはり稽古場披き以来の濃茶を一堂に振る舞って、居士を偲び、

 

残された半分の稽古への精進を誓いあった。

 

↑利休居士にお茶湯を供える。

 

 聞けば、ここNYでも例年28日前後に、表千家、裏千家それぞれの

 

稽古場で利休忌が行われているという。遠く離れた異国の地で、

 

多くの人が自分の先祖を思い、お茶を供えてくださる。 なんと

 

ありがたいことだろうか。本人が知ったらさぞびっくりされるだろう。

 

いつかNYにある三千家が一堂に会して、ともに祖である利休居士を

 

偲べたらどんなに素晴らしいだろうか。 

 

改めて利休さんという存在の偉大さを、日本にいる時とはまた違った

 

かたちで感じ、思いを新たにした今年の利休忌であった。

 

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島田雅彦氏と対談。

2009年3月26日 (木)

NYに住む日本人を主な対象とした情報紙『よみタイム』さんからの

ご依頼で、同じ文化交流使としてNYに滞在で、3月いっぱいで

任期を終えられる作家の島田雅彦氏と対談を行った。

テーマは「二人の文化交流使が見たアメリカ」。

そして、そこから見えた日本のこと。

http://www.yomitime.com/hito/111_taidan.html

場所は先日ご紹介したイーストヴィレッジにある京料理の「嘉日」。

島田さんは9か月、僕はほぼ一年の期間で、ともに出国は

昨年の7月だった。ワシントンでのイヴェントをご一緒して以来、

狭いマンハッタンのあちこちでお目にかかる機会があったが、これで

しばしの別れかと思うと名残惜しさ、時の流れの速さを思った。

残り3か月、大きな行事が目白押し、また最後の欧州遠征も

5月末には控えている。最後まで駆け抜けて行きたい。

 

 

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柳ギャラリーでの茶会

2009年3月24日 (火)


↑ギャラリーから茶室を望む。

コロンビア大学での一つの節目ともいうべき茶会を終えたあくる日、

やはりお世話になっているKoichi Yanagi Oriental Fine Artで

開催の、茶の湯道具の展覧会のメインイヴェントとして、NY在住の

茶の湯に関心深い方々を招いての茶会を催した。

場所は当然、畳を入れ茶室に生まれ変わったYanagi Galleryの

広間。

 
↑一席目の濃茶点前の様子。

今回の眼目は、正式の茶事のメインである、濃茶を皆さんに

差し上げるというもの。上質の茶葉を惜しげもなく使い、練り上げる

濃茶は非常に濃厚な味わいで、日本人にとってもなじみの薄いもの。

まして、いくら茶の湯に関心が深い方々といってもアメリカの方に

どこまで好まれるか、正直不安があった。が、今回の展覧会は、

柳 孝一さんの尽力で濃茶席にふさわしい格式高い道具がそろった。


↑茶席の床と点前座。

この道具たちを最高のプレゼンテーションで味わっていただくには、

やはり濃茶を呈するしかない、とのことで、この日の茶会をその仕立て

で行うことが決まった。本格的な道具、炉のしつらいで濃茶を煉ること

自体、渡米以来、僕にとっても久々のこととなる。

 床の間には利休忌を間近に控えて、利休居士の肖像を掛ける。

三千家が分立した世代の家元である、裏千家4代仙叟宗室が、

「茶人の求めに応じて」と但し書きをし、利休の辞世の偈と句を

上部に書き入れる。どのような求めがあったのだろうか。


↑利休居士画像。作者不詳。賛は
 仙叟宗室筆。瓔珞文をあしらった
 表具の中廻し裂が洒落ている。

また画像の利休の左肩半分が切られたように、画面からはみ出して 

いるのも興味深い。もともとこういう状態で描かれたのか、

あるいは長い伝来の過程で右部が傷んで除去されたのか。

こういう道具を前にすると歴史に想いがはせられる。

箱書は表千家7代如心斎。この軸の前で私が

点前をすることで、利休に始まる三千家が揃うという趣向だ。

花入は砂張瓢形。格調高い春の花の王者・牡丹が入れられ、

日本と変わらない春を寿ぐ茶席がしあがった。


↑二席目の席入りの様子。茶道具コレクター
 ペギー・ダンジガー氏が点前座を拝見をされる。

 茶席は午後2時と4時の二回。アメリカ人、日本人と

日本美術や茶の湯に堪能な方々ばかりが集まった。中には

裏千家の茶の湯を深く習っている方、教えている方も。

皆さんの視線を一身に浴びての濃茶点前は久々で、

濃さ加減や間合いなど一つずつ確かめながら、いささか

緊張を感じながら進めた。本来なら食事をお出ししてからの

濃茶であるので、夕方の2席目はやや薄めに点てて

お出ししたが、各席とも好評で、飲み終わられた茶碗がいずれも

そこにお茶が残ることなくきれいに引いてくださったことが

何よりうれしかった。


↑濃茶一啜ののちの問答。

 海外で茶の湯の紹介を続けているとついつい初心者の方が

多いので、いろいろ妥協したり、相手に合わせ過ぎてしまうことが

あるが、久々に本式の濃茶を行い自分自身気持ちが引き締まり、

自分自身の立ち位置を確認することができた貴重な経験だった。

もちろんこの感覚は、同じことを日本の茶室でやっていても

味わうことはできないだろう。


↑点前座の道具。高麗堅手茶碗、芦屋釜、
 宗旦在判小棗、利休茶杓宗旦筒など。

 

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コロンビア大学茶会

2009年3月23日 (月)


↑コロンビア大学Amsterdam Avenue側の入口。
 右の建物がKent Hall(右)

快晴のこの日、客員研究員として籍をおくコロンビア大学の東アジア研究の殿堂、

Kent Hallにて、同大学ドナルド・キーン・センター主催のもと、茶の湯を

紹介するための茶会を行った。この話は、渡米直前にお目にかかった日本文学の

シラネハルオ教授との話し合いによりはじまり、何度も打ち合わせを重ね、

ようやく迎えた今回の滞在の中でも節目となる特別な行事だ。


↑学内各所に指名手配のように貼られた茶会を
 告知するポスター。 

この茶会には実は遡ること25年前からの因縁がある。私の父である14世家元

不徹斎千宗守が後継ぎ号の宗屋を名乗っていた1982年3月、全く同じこの

Kent Hallの学生ラウンジで茶会・デモンストレーションを催しているのである。

その時の写真やその際に当時の学生が作ったパンフレットなどを、父が一時帰国

の時に嬉々として見せてくれた。写真を見ると部屋の内装は今とほとんど変わらない。

不思議な畳の敷かれた台が片隅にあり、父の時はここに点前座をしつらえたようだ。

僕は一計を案じ、この上に床の間代わりのパーテーションを立て、台自体を床に

見立て、点前自体は常のごとく茶机「天遊卓」を持ち込み、ラウンジ全体を茶室に

見立てる形でしつらえることにした。


↑当日のしつらえの全体。

 午後早々より準備に入り、小さいエレベーターに入らない

茶机を、結局階段で何度も往復して運び入れ、なんとかしつらえが

完了したのは、茶会も始まる1時間少し前。席は、一席10名の招待者を

中心にした2回と、学生を対象に抽選30名に対して行った1回の

計3回。招待状はドナルド・キーン・センターより発送され、学内外の

日本文化にかかわりある方々や学生がとりどり交わり、和やかに

一碗を楽しまれた。


↑第一席開始に先立ち、Matthew McKelway准教授
 による紹介と挨拶。(Photo by Go Sugimoto)


↑第一席目の点前。(Photo by Go Sugimoto)


床のしつらえ (Photo by Go Sugimoto)

 2月28日付のブログでも書いたとおり、今回の茶会は

シラネ先生の発案により、先生と親交ある日本の工芸作家の

お二人の紹介を兼ね、彼らの作品を席中で使うという課題を

与えていただいた。鍛金の相武常雄さん、陶芸の杉浦康益さん。

お二人の作品を拝見し想を練り、杉浦さんはあえて器ではなく

彼の主流である花のオブジェを床の花とし、相武さんの作品は

菓子器と建水、蓋置を使わせて頂いた。

 そして花は決まったものの、掛物が決め手に欠けていた。

そんな折に、12日の日記に書いたアジアアートウィークでの、

8代一啜斎の一行の偶然の出現である。そこには「百花休」とある。

杉浦さんの椿を象った焼物のオブジェにこれほどふさわしい語はない。

こういう偶然の出会いに助けられることが今まで僕は何度もあったが、

そのたびに僕はお茶の神様の存在を強く感じる。


↑点前座に置きあわされた道具。
黒田泰蔵作 白磁水指(木地蓋新田紀雲作) 
村瀬治兵衛作 銀彩黒中次
楽吉左衛門作 赤楽茶碗銘「咲貌」
不徹斎千宗守作茶杓銘「翔洋」。
(Photo by Go Sugimoto)


↑第2席目、席中で説明を行う。


↑第3席目。学生30名が参加した。この席には
 ドナルド・キーン・センターの活動の取材のため
 NHKのカメラが入った。


↑第3席目で、熱心に茶碗を拝見する
 学生たち。

 またこの茶会の開催に合わせて、Kent Hallの図書館1階の

ロビーでは、武者小路千家茶道や僕の紹介をするための展示を

行ってくれた。いくつか写真や今回の渡航のために名古屋の

鍛金作家・長谷川一望斎の長男、清吉君が初めて作ってくれた

好みの野薬缶茶箱など資料を提供したが、大学院生で

茶の湯も習っていたというアリエル君や、日本美術史のアーロン君が

見やすく美しく展示してくれ、晴れがましくもあり気恥ずかしくもあった。


↑図書館ロビーホールでの展示を前に。
 左よりシラネ教授、C.V.スター東アジア図書館
司書の野口幸生氏、私、日本文学専攻の大学院
生アリエル君。


↑図書館の展示。左は利休、父(左)、私(右)のポートレイトを並べて、
右は野薬缶の茶箱と皆具一式、手前はかつて中央公論に掲載された
ドナルド・キーン先生と私の対談記事。


↑図書館地下展示室では相武氏杉浦氏の作品展も
行われた。左より、杉浦氏、相武氏、私、シラネ教授。
手前は相武氏の作品。独特のフォルムが印象的。

 学生との茶会は点前に先立ち、茶会の成り立ちなどを簡単に

講義し、その後実際の流れを体験してもらい、最後に質疑応答を

行った。さすがにコロンビア大学、意識の高い学生が集まり、質問の

内容や質も面白い。最も印象的だったのは「自分たちは客として

茶席を楽しむことが出来たが、茶の湯の点前をして茶会を催すのは

あなたのようなプロに頼んでやってもらうのか、それとも自分たちも

行い楽しむことができるのか?」と、いうもの。とてもシンプルであるが、

普段改めて考えることもない、でもとても大事な質問だった。

僕はこう答えた。「茶の湯は誰にでも楽しむことができます。もちろん

そのために押さえておかなくてはならない約束事やルールはいろいろ

ありますが、それらはすべて茶を楽しむために必要な手段、

ゲームにおけるルールのようなものです。そして茶の世界は別世界であり、

そこでは日常的、社会的な関係を離れて人と人が心を直に交わらすことが

可能となります。そこでは茶の湯のプロも素人もありません。」と。


↑かつて父が点前をした畳の上に、父の作った
茶杓の筒と箱を飾って、茶会の様子を見守って
もらった。

 

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NYの京料理

2009年3月19日 (木)

 京都で馴染みのお麩屋「麩嘉」さんがNYにお店を出されるという噂を

かねてから聞いていた。唐突な話でもあり、また昨秋からの経済状況からも

難しいのではと思っていたが、このたびそのお店が無事East Villegeに

出来て、オープニングにお招きいただいた。

お店の名前はKajitsu(嘉日)。


↑聚楽土風の壁、桧のカウンター、並べられた
お重など、いままでNYのどこにもなかった、
“まんま”京都の割烹風。


↑オープニングに合わせて京菓子の名店
「末富」の若主人・山口さんが目の前できんとん
など主菓子を作ってくださった。京都にいても
味わえない贅沢!

 
↑桜をイメージしたであろうきんとん。NYでまさか
末富さんの主菓子がいただけるとは夢にも思わなかった。


↑前列左からコロンビア大学名誉教授村瀬実恵子先生、
私、後列右からコラムニストの武藤芳治さん、
Kajitsuシェフの西原さん、末富の山口さん、麩嘉の小堀さん。

 感想は和食ブームのNYに、ついにここまで徹底したレベルの店が

出来たかというもの。半地下の入口の奥まった様子や、やわらかい

聚楽壁の風合いを映した数寄屋風の内装は、いまどき京都で

流行る系の割烹スタイル。意外とこれまでNYにはなかった。

 お香がほのかに焚かれ、出されるお料理の淡白ながら出汁のしっかりした

味はまさしく京都の味を連想させる。風味にバラエティもあり、昆布と椎茸オンリーの

精進仕立てのお出汁をベースにしているとは思えない。

当日はNYでお馴染みの日本びいきの方々や、日本文化関係者のほか、

京都からも麩嘉の小堀さんや末富の山口さんはじめ、いつも懐石料理で

お世話になっている「三友居」の若主人・山本君など、懐かしい面々が

勢揃いし、一瞬どこにいるのかわからない愉快な経験だった。

NYに出来たまさにリトルキョウト、今後どのように受け入れられて

育っていくか楽しみな店が出来た。

Kajitsu(嘉日)www.kajitsunyc.com


↑オープニングの日は立食だったため後日再訪。
八寸のくみ上げ湯葉、黄色いお皿はアーティチョークと
リンゴをバルサミコ酢で和えたイタリアンな酢の物、笹の葉
巻きの山菜おこわ。どれもが絶妙で繊細だった。(28日)

 

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水墨画の名宝、ワシントン「フリアギャラリー」再訪

2009年3月16日 (月)


↑セントラルパークサウスにて山下先生と。(15日)

14日、15日もNY各所で開かれているアジアアートフェアに協賛の

ギャラリーや展示会を回る。15日はクリスティーズでのレセプションに

顔を出し、そのあとは山下裕二先生と久々に夕食をご一緒しながら

近況を語り合う。話題は秋からの授業の内容など。もうそろそろ帰国後の

スケジュールを考えなくてはいけない時期に来てしまった。月日がたつのが

本当に早いと実感。


↑ペンステーション前のバス停から
 エンパイアステートビルを望む。

16日朝8時前、ペンシルベニア駅前に集合。大学の春休み期間を利用し、

コロンビア大学マシュー先生の特別の計らいにより、水墨画をテーマにした

ゼミで、ワシントンDCにあるフリア-美術館が所蔵する水墨画を特別観覧

することなった。

 スケジュールは2日間。門外不出のフリアーの名宝をたっぷり勉強し

堪能する機会を与えて頂いた。今回滞在中、少しでも在米の

日本美術の名品に触れておきたいと念願していた自分にとっては

得難い無二の機会である。ワシントンまでの高速バスに乗って、

はやる気持ちを抑えながらマシュー先生とこれから見る作品について

あれこれ思いを巡らす。院生たちは事前の資料読みに余念がない。

やがてバスは、12時過ぎに無事DC到着。地下鉄に乗り換え

スミソニアン博物館・フリアー・サックラーギャラリーへと直行した。


↑フリアーギャラリー

 秋以来の再会であるDeputy DirectorのJammes Ulak氏に

出迎えられ、早速地下のStorageへ。ブルータスの取材で伺った昨夏は、

琳派がテーマのため宗達の金碧きらびやかな世界が広がっていたが、

今回はテーマが水墨であるため、一転モノクローム。山水や

花鳥画、僧侶の頂相といった渋い掛け幅の作品が並んだ。その多くが

14世紀から16世紀前半にかけて京都、あるいは関東で描かれた

室町時代の墨の彩りを今に伝える。いずれも日本では研究の過程において

図版などでたびたび目にしていた作品ばかりなので、その質感や

大きさを確認し、今それらが眼前にある事実を噛みしめた。


↑左より伝周文筆・山水図、相阿弥筆・柳下白鷺図、
 藝愛筆・柳燕図。いずれもフリアー美術館蔵。

調査はあくる18日も続き、10時に同じStorageに伺うと、おなじく

モノクロームでありながら昨日と全く異なる世界が広がり、目を驚かされた。


↑宗達雲龍図の前で調査中。

それは一日目が掛け幅中心であったのに対し、この日は屏風が

メインだったからによる。が、何といってもこの日の眼目は

フリアの誇る俵屋宗達のもう一つの傑作、水墨「雲龍図屏風」

である。もくもくとわき起こる雲気の中から姿を現した龍と、

荒れ狂う波。全体に刷いた薄墨が乾かないうちに濃墨を点じる

ことで広がる滲みの偶発性を生かした宗達独特の「たらし込み」

の描法をこれほど活かした作品はほかに見当たらない。

宗達の水墨画による屏風の大作は、いま日本に現存しない。

日本にあれば間違いなく国宝指定を受けているであろう

作品が目の前にある感動は筆舌に尽くし難い。


↑俵屋宗達「雲龍図屏風」六曲一双
 フリアーギャラリー蔵

そして室町水墨画の系譜をフリアーの所蔵品で実際に

眼で追って最後に宗達を見ると、この画家はやはり

江戸に始まる琳派の文脈で見るより、中世絵画の

最後の輝きととらえる方がよりしっくり来ることが改めて

判った。この日はこのほか、伝雪舟といわれる山水図屏風や

花鳥図屏風(紀州徳川家旧蔵)、評論家小林秀雄が愛蔵していた

雪舟の弟子・秋月の「揚子江図巻」なども精査することができ、

さらにサプライズとしてフリアーの所蔵品ではないが、折よく

寄託されていた、私がアメリカにいる間にぜひ見たいと念願していた

画家の作品を図らずも見ることが出来た。美術館関係の皆様、

マシュー先生のご配慮に心から感謝したい。


↑ワシントン国会議事堂。2か月前の
オバマ大統領就任式の折はこの広場を
人々が埋め尽くした。

 

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Asia Art Week での出会い。

2009年3月12日 (木)

自分には時々お茶の神様がついているのではないか、驕りではなく

思うことがある。今回の出会いはまさにその好例だ。

 NYは3月第一週のアーモリーショウから始まり、

さまざまなアートのイヴェントで大いに盛り上がる。そのうち、だいたい

第二週からがアジアンアートフェアで、日本、中国といったアジア美術の

ギャラリーが、あちこちで展示会を開いたり、ギャラリービルにブースを

構えたりして大いに盛り上がる。クリスティーズなどのオークション会社も

この時期に中国や日本美術の大きなセールを行う。


↑クリスティーズ日本美術セールの下見会場。
(12日)今回の目玉、春日宮曼荼羅(14c)や
北斎の肉筆浮世絵などが並ぶ。

 が、今年は不景気のあおりで、メインのアーモリーでのアジアアートフェアは取りやめ

となった。それでもこの時期、アジア美術関係者は世界中からここNYCに集まり、

そこかしこのギャラリーやイヴェント会場はお祭り状態となって、初めて見た目には

充分お祭りの様相を呈していた。13日にAsia societyで行われた白隠シンポジウム

や、在東海岸の日本美術ディーラーだけが集まって催すJADA(ジャパンアート

ディーラーズアソシエーションの略)の展示会もこの時期に合わせての開催だ。


↑Asia societyでの白隠シンポジウムで達磨図
 を示し雪舟との比較を講じる山下裕二先生。

 そのイヴェントのうちマディソンアヴェニューの56丁目にあるFuller Buildingで

行われたアジアアートウィークでのこと。いくつか知り合いのギャラリーを

上の階から順に覗き、最後の方でなんとなく3階にあった日本美術の

ギャラリーのブースに入った。ここのオーナーはアメリカ人の女性の

ようだが面識はない。琳派の作品などいくつか掛けられていたが、

入って真っ正面にかかる書の一行がなんだか気になった。第一印象は

「お茶の雰囲気のある字だな」というもの。大徳寺あたりの禅僧のものかと

思い近づく、見覚えのある署名。しばらくして頭が真っ白になったというか、

ある種の興奮が自分に訪れた。それは自分の先祖、武者小路千家の

8代家元、一啜斎の一行書だったからである。


↑右が発見した一啜斎の一行。能面と
並んで壁に掛けられていた。
(キャロル・ダベンポートギャラリーのブースにて)

日本でも武者小路千家代々の道具、特に書の作品に出合う機会は

少ない。ましてここはアメリカ、表具や本紙の状態も非常に良く、

自然な時代から来る味わいが一層茶にかなった雰囲気を醸して

いた。何よりも大きすぎない、やや小振りの寸法が好ましい。

おまけに語は「啼鶯到処百花休」(ていおういたるところ、ひゃっかやすまる)

長く厳しい冬を抜け、春の到来を目前に控えてNYで今出会うのに

これほどふさわしい語句もまたない。

 聞けば、やはり昨今日本で買い付けたものではなく、ニューヨーク近郊に

住んでいたアメリカ人のおじいさんで日本のアンティークを集めていた方が

亡くなって、そこの荷物に中にあったものという。

よりによって自分がNYにいるときのこの偶然の出会い。これを縁といわずに

なんといおう。誰かが常に自分を見ている、見守っているとその時に感じた。

 その日は様子をみて、あくる日さっそくのこの書を予約して抑えた。

その時私には一つの思惑があった。それは10日後に控えた茶会の時

明かすこととし、胸の内に秘めておいた。


↑14日、ジョンマービスギャラリーにて始まった
青磁を得意とされる陶芸家川瀬忍さんの個展
「華青波」のオープニングに伺う。右からアーティスト
ミヤケマイさん、私、川瀬ご夫妻。

 

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