Categories: CASA BRUTUS | 千 宗屋 茶味 in ニューヨーク。 Charming New York - 2009.03.23
コロンビア大学茶会
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↑コロンビア大学Amsterdam Avenue側の入口。
右の建物がKent Hall(右)
快晴のこの日、客員研究員として籍をおくコロンビア大学の東アジア研究の殿堂、
Kent Hallにて、同大学ドナルド・キーン・センター主催のもと、茶の湯を
紹介するための茶会を行った。この話は、渡米直前にお目にかかった日本文学の
シラネハルオ教授との話し合いによりはじまり、何度も打ち合わせを重ね、
ようやく迎えた今回の滞在の中でも節目となる特別な行事だ。
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↑学内各所に指名手配のように貼られた茶会を
告知するポスター。
この茶会には実は遡ること25年前からの因縁がある。私の父である14世家元
不徹斎千宗守が後継ぎ号の宗屋を名乗っていた1982年3月、全く同じこの
Kent Hallの学生ラウンジで茶会・デモンストレーションを催しているのである。
その時の写真やその際に当時の学生が作ったパンフレットなどを、父が一時帰国
の時に嬉々として見せてくれた。写真を見ると部屋の内装は今とほとんど変わらない。
不思議な畳の敷かれた台が片隅にあり、父の時はここに点前座をしつらえたようだ。
僕は一計を案じ、この上に床の間代わりのパーテーションを立て、台自体を床に
見立て、点前自体は常のごとく茶机「天遊卓」を持ち込み、ラウンジ全体を茶室に
見立てる形でしつらえることにした。
午後早々より準備に入り、小さいエレベーターに入らない
茶机を、結局階段で何度も往復して運び入れ、なんとかしつらえが
完了したのは、茶会も始まる1時間少し前。席は、一席10名の招待者を
中心にした2回と、学生を対象に抽選30名に対して行った1回の
計3回。招待状はドナルド・キーン・センターより発送され、学内外の
日本文化にかかわりある方々や学生がとりどり交わり、和やかに
一碗を楽しまれた。
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↑第一席開始に先立ち、Matthew McKelway准教授
による紹介と挨拶。(Photo by Go Sugimoto)
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↑第一席目の点前。(Photo by Go Sugimoto)
2月28日付のブログでも書いたとおり、今回の茶会は
シラネ先生の発案により、先生と親交ある日本の工芸作家の
お二人の紹介を兼ね、彼らの作品を席中で使うという課題を
与えていただいた。鍛金の相武常雄さん、陶芸の杉浦康益さん。
お二人の作品を拝見し想を練り、杉浦さんはあえて器ではなく
彼の主流である花のオブジェを床の花とし、相武さんの作品は
菓子器と建水、蓋置を使わせて頂いた。
そして花は決まったものの、掛物が決め手に欠けていた。
そんな折に、12日の日記に書いたアジアアートウィークでの、
8代一啜斎の一行の偶然の出現である。そこには「百花休」とある。
杉浦さんの椿を象った焼物のオブジェにこれほどふさわしい語はない。
こういう偶然の出会いに助けられることが今まで僕は何度もあったが、
そのたびに僕はお茶の神様の存在を強く感じる。
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↑点前座に置きあわされた道具。
黒田泰蔵作 白磁水指(木地蓋新田紀雲作)
村瀬治兵衛作 銀彩黒中次
楽吉左衛門作 赤楽茶碗銘「咲貌」
不徹斎千宗守作茶杓銘「翔洋」。
(Photo by Go Sugimoto)
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↑第3席目。学生30名が参加した。この席には
ドナルド・キーン・センターの活動の取材のため
NHKのカメラが入った。
またこの茶会の開催に合わせて、Kent Hallの図書館1階の
ロビーでは、武者小路千家茶道や僕の紹介をするための展示を
行ってくれた。いくつか写真や今回の渡航のために名古屋の
鍛金作家・長谷川一望斎の長男、清吉君が初めて作ってくれた
好みの野薬缶茶箱など資料を提供したが、大学院生で
茶の湯も習っていたというアリエル君や、日本美術史のアーロン君が
見やすく美しく展示してくれ、晴れがましくもあり気恥ずかしくもあった。
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↑図書館ロビーホールでの展示を前に。
左よりシラネ教授、C.V.スター東アジア図書館
司書の野口幸生氏、私、日本文学専攻の大学院
生アリエル君。
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↑図書館の展示。左は利休、父(左)、私(右)のポートレイトを並べて、
右は野薬缶の茶箱と皆具一式、手前はかつて中央公論に掲載された
ドナルド・キーン先生と私の対談記事。
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↑図書館地下展示室では相武氏杉浦氏の作品展も
行われた。左より、杉浦氏、相武氏、私、シラネ教授。
手前は相武氏の作品。独特のフォルムが印象的。
学生との茶会は点前に先立ち、茶会の成り立ちなどを簡単に
講義し、その後実際の流れを体験してもらい、最後に質疑応答を
行った。さすがにコロンビア大学、意識の高い学生が集まり、質問の
内容や質も面白い。最も印象的だったのは「自分たちは客として
茶席を楽しむことが出来たが、茶の湯の点前をして茶会を催すのは
あなたのようなプロに頼んでやってもらうのか、それとも自分たちも
行い楽しむことができるのか?」と、いうもの。とてもシンプルであるが、
普段改めて考えることもない、でもとても大事な質問だった。
僕はこう答えた。「茶の湯は誰にでも楽しむことができます。もちろん
そのために押さえておかなくてはならない約束事やルールはいろいろ
ありますが、それらはすべて茶を楽しむために必要な手段、
ゲームにおけるルールのようなものです。そして茶の世界は別世界であり、
そこでは日常的、社会的な関係を離れて人と人が心を直に交わらすことが
可能となります。そこでは茶の湯のプロも素人もありません。」と。
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↑かつて父が点前をした畳の上に、父の作った
茶杓の筒と箱を飾って、茶会の様子を見守って
もらった。