「TWEEPLE(ツイープル)」の立ち稽古に参加して気づいたこと。
2010年6月22日 (火)
昨日、Age[アージュ]特設サイトに「Twitter×Ustreamドラマ『TWEEPLE(ツイープル)』に大人の一生懸命を見た。」という記事を書いたところ、大好評。
詳しくは記事をご覧いただくとして、昨夜、初めての立ち稽古にお邪魔してきたのでその様子をご紹介しよう。
全6話からなるドラマのうち、昨日は2話を読み合わせ&稽古。その場でセリフや演出がどんどん変えられていく。驚いたことにこの日が初顔合わせという方々もいらっしゃって、ドラマがTwitterやネット上でできあがっていったのだということを実感する。
雑誌のために芝居やステージの裏側を取材しているときとは違う何かを感じたのだが、その感覚が何なのかしばらくわからなかった。
途中で退出するつもりでお邪魔したのに、気がつくと4時間の稽古をすべて見通していた。あまりにもダイナミックで面白かったからだ。そして、いつもと違うその感覚が何なのかは、帰宅途中にひらめいた。
すべてがフラットだったのだ。
通常の取材で見てきた芝居の稽古は、監督がおり、演出者がおり、主人公がおり、その他の出演者がおり…と、ヒエラルキー構造の上に成り立っている。監督がその場を支配している雰囲気や、主人公格の役者がより尊重される雰囲気。いい意味でも悪い意味でも、そこには“場の緊張感”が満ちあふれている。
昨日のそれは違った。すべての人が同じように発言し、すべての人が人の意見に耳を傾ける。そこには役割の上下関係も、普段の社会的立場も何もない。芝居とはこうあるべきという思いこみもない。同じドラマを作り上げていく者同士という連帯感があり、さらに、視聴者のことを考える姿勢があった。
そこにあるのは“場の緊張感”ではなく“それぞれの人の中にある緊張感”だったのだ。
Twitter上ではすべての人がフラット。そういう言葉を思い出す。その人が何者であるかではなく、どんな人であるか、が大切な世界。
そういう意味でも、このドラマはまったく新しい作り方だ。放送中に視聴者がTwitterのタイムラインで参加できることの意義も大きい。すべての人が参加者になれるドラマなんて、今まであっただろうか?
6月24日(木)21〜23時。
答えは、視聴者として体感してみようと思う。
【6月21日の立ち稽古の様子】
みなさま、取材にご協力いただきありがとうございました!











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