this is YOSHIKItmpl.

第1章 偶然の出会い

2009年2月10日 (火)

昨年の8月末、ロサンゼルスで『YOSHIKI』が突然、私たちの前に姿を現して以来、私たちと彼との間にひとつの約束ができました……。
それは「僕の準備ができるまで、この話を公開するのを待って欲しい……」というものでした。

それは『Help as One』(「音楽の力で世界をより良い世界に変えていこう」というスローガンのもとに、世界中のアーティストやクリエーターたちが協力し行動を興していくために設立された米国NPO法人の名称)の発足パーティーを取材に行ったときに始まりました……。
ハリウッドのセレブ御用達クラブ『KRESS』で行われたキックオフパーティーには、日本でもお馴染みのスターやアーティスト、クリエーターが集まり、「マイケル・ジャクソンが来る!」との情報から多くのセレブやファンが会場に集まり、一帯は晩夏の涼しい風とは反比例し、異常なほどの熱気を帯びていました。
しかし、時間が過ぎても現れないマイケルに失望した見物人やメディアの人たちが「またか!」と諦め、罵詈雑言を放ち帰ろうとしたその時、1台のベントレーが静かに駐車場に入ってきました。
目を見張る美女を二人連れて、その車から降り立ったのが、現在、その活動拠点をロサンゼルスに移し、ここLAでもセレブの称号を得ている初めての日本人『YOSHIKI』でした。
その姿を見て多くのメディアが彼の車を囲むなか、礼儀正しく関係者に挨拶をしながら彼はレッドカーペットを歩み始め、その来訪の目的を聞かれ穏やかな視線と確かな口調で語り始めました。
「ここには、自分の勉強のために来ました。このような活動には僕もたいへん興味をもっています」と話すと、足早に会場へと消えていきました……。
その後、私たちが独占インタビューをお願いすると「いつまでLAにはいらっしゃいますか?」と逆に質問され、「後4〜5日ほど……」と答えた私たちに、「では、3日後にお会いしましょう」と、その突然の申し込みにも嫌な顔ひとつせず、微笑みながら応えてくれました。

9月3日、彼に指定されたロデオ・ドライブの一角にある会員制クラブに、私たちは過大な期待感と一抹の不安を感じながら向かいました……。
ブランチ・タイム前のクラブは、まだ人影もなく閑散としていましたが、壁一面に飾られた写真の数々が、ここはハリウッド・セレブの中でも数少ない超一流のスターやプロデューサーだけが入ることを許された場所であることを無言のうちに語りかけてきました。
きっかり予定通りの時間に現れた彼は、クラブのスタッフといつもどおりの軽いジョークまじりの会話を交わした後、私たちを個室へと案内してくれました。
一切の撮影を禁じられたその特別な空間で、彼はインタビュー用のレコーダーを回すことに気軽に了解をとってくれると、ブランチを取りながらのインタビューが始まりました。

「09年からワールド・ツアーが始まること」「黒沢監督の生誕100周年記念ハリウッド映画の音楽監督に選ばれたこと」「『ロックスター』という北米では人気があるドリンクのアドバイザーに就任したこと」などなど「世界初のスクープ話」を、まるで友人にでも語りかけるように次々と話してくれた後、「なぜ、パーティに来たのか?」という、私たちが聞きたかった本題をいよいよ尋ねてみました。
「いま『YOSHIKI基金』と言うか、何か社会貢献のための基金の設立を考えています」と突然、私たちの意表をつくような話を彼は語り始めました……。
幼い頃の彼の父の自殺やHIDEの死が大きなトラウマやしこりとなり、一時は自分自身も厭世的になったことや『X JAPAN』を再結成することに対する躊躇とその心の内、そして、彼自身が遂に身につけた「死生観」など……、ただ聞くにはあまりにも重く、そして、その真摯な姿に私たちはただただ驚くだけでした……。

そのときの生々しい肉声が、音声ファイルにある「コンテンツ」です。
2時間ほどのインタビューが終わると彼は日本での再会を誓い、「スタッフ・ミーティングがあるので……」と言うと私たちの分までの支払いも済ませ、堅い握手を交わし再び個室へと戻っていきました。

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